「ねえミスタ、ちょっと」
キッチンでリズミカルな音が途絶えたと思ったら、痺れを切らしたような表情でNameがひょこっと顔を出した。
「どうしたんだよName」
ソファでくつろいでいたミスタはゆっくりとした動作で腰を上げた。Nameがブランチを作っている間、やることがないのでテレビをつけて時間を潰していたのだが、彼女の声を聞いたとたんすぐにテレビから目線を外したので彼の興味をそそるような刺激的な番組は生憎なかったらしい。わざと遅めに歩いてミスタはNameがいるキッチンへと入る。彼女の手には包丁と、手元には無残な姿の、いや、無残な姿になりかけの、皮付きの鶏肉があった。
「鶏皮が肉から離れようとしないの」
「鶏皮が肉から離れない?」
しかめっ面でNameはミスタのほうを見た。普段Nameの姿を見るのは仕事中のほうが多いので、キッチンに立ち包丁を握り締めているNameはなんだかそわそわする。Nameが料理を作ってくれることは今までも多々あったが、ヘンな感じだ、とミスタは毎度見て思う。違和感と同時になぜか愛しいものが込み上げるので不思議だとも思う。例えて言うならば満面の笑みのブチャラティ。ヒッピー風のTシャツを着ているアバッキオ。とっても仲良しのフーゴとナランチャ。要するに、似合わないのだ。
ミスタが貸してみろ、という前にすでにNameは包丁をミスタのほうに差し出していたので、最初からミスタに解決してもらうつもりでいたのだろう。仕事中は自分の役割は一から十まですべて自分でやり遂げることに命をかけているのに、こういう小さいことはできないと一度思うと人にやってもらいたがるのがNameの癖だった。ミスタは頼られると純粋に嬉しいと感じる単純な男なので、Nameのこの癖をかわいいと思っていた。Nameはそれを利用することが多々あったのだがそれはここでは秘密だ。
「よし、貸してみろよ」
ずいと出された包丁を受け取り、ミスタはいとも簡単に鶏肉と鶏皮を引き剥がした。力まかせにとろうと健闘していたNameのせいで肉の繊維が少しダメージを受けているようだが、手遅れにはならなかったようだ。
「わ、ミスタ、すごい」
「だろ?」
「やっぱりミスタ、力が強いのね」
「あのな。これは力が強いとか弱いとかじゃなく、単に器用かそうじゃないかの違いだぜ、Name」
「それわたしを不器用だって言いたいの?」
「そんなところも好きだって言ってんだよ」
おちゃらけたようにミスタが笑って頬を寄せると「誤魔化してるんじゃないわよ」とNameは一蹴し軽く拳で頬を小突いた。
「おお、痛て」
大げさに痛がってミスタはまたリビングへと戻る。今日はとても良い天気だった。窓から見える空は目を疑うような深い青で、雲ひとつなかった。最高だ。折角の休みだし、今日は一日家でゆっくり過ごそうと思っていたが、ミスタはこの空を見てじっとしていられるたちの男ではなかった。こんな気持ちよさそうな日に、どこにも出掛けず部屋に引きこもっている人間なんているだろうか?いるとしたらそいつは人生を楽しむチャンスを逃してる。シンプルな頭でそう考えた。
ニンニクの香りが部屋に広がった。Nameがニンニクを炒めだしたのだ。程なくして、じゅわあと音を立てて香ばしい肉の香りが漂う。幸せだ。ミスタはふつふつと湧き上がるなんともいえない気持ちに胸を躍らせながらそう思った。休日で、天気が良くて、Nameがいて、料理を作ってくれる。今からNameの料理を食べて、二人で街に出て、手をつないで歩くのだ。アクセサリーなんかを買ってやるのもいい。ジェラートだって食べよう。そして、夜はふたりでベッドに入るのだ。ジャアア、とさっきより大きい音がした。フライパンにワインを注いだのだろう。とても良い香りがして、胃のあたりがぐうと鳴った。
素敵な休日になるであろう今日の幕開けを飾るにふさわしい彼女お手製のブランチが出来るまで、きっとそんなに時間はかからないだろう。Nameにキスをするのに食事が出来るまで待つか、今すぐ彼女の腰に手を回すか。少しの間考えてからミスタは再び腰を上げた。