重たい瞼を開けると、目尻が少し濡れていた。
まだ夢の名残を引きずっている重たい頭でぼんやり考える。もう一人の朝には慣れてしまったけれど、たまに今日みたいな、胸をつぶされてしまうようなどうしようもない気持ちで目覚めることがあった。
夢で見た、かれの白い腕が忘れられない。
体を起こして窓の外を見ると、白くてはっきりしない、温めすぎたミルクのような重たい空が広がっていた。まるで、かれとわたしの故郷の空みたい。北欧に近いアイルランドはなんだかいつもどんよりとしたはっきりしない天気で、気難しい老人みたいでわたしは苦手だった。絵に描いたような快晴なんてめったに見られるものではなく、故郷を出てから空を見る度に見入ってしまうことが多くなった。世界はひとつ、同じ空なのに、なぜこんなにも色が違うのだろう。かれは、アイルランドの空を好いていた。
アイルランドには良い思い出なんてなかった。冬の寒さは堪えたし、面白いものもない。料理だってぼそぼそとして美味しくないし、お酒の飲めないわたしには彼らがよく好んで飲むまるで喉が焼けたように感じる度の強いウィスキーなんて理解できなかった。
最初はかれのことも例外ではなかった。あの鬱陶しく感じるくらい世話焼きなところも、軽々しく触れる手も、ばかみたいにわたしを大切にするところも。ただかれの横顔はとても美しくて、何度も見惚れた。公園のベンチ、欄干の上、花屋のアーケードの下。いつだってかれの横顔があって、笑ったり遠くを見つめたり、わたしの名前を読んだりした。時折わたしの頭を撫でて顔をくしゃくしゃにして笑うかれの暖かな吐息は、わたしの心をいとも簡単に手中に収めていった。
コーヒーを沸かしている間に、アイルランドを離れる前にかれがくれたレコードをプレイヤーにセットして、そっと針を落とす。心地よい重低音が響いて、少し鼻の奥がツンとした。かれはひどい人だ。こんな手段で、かれを愛していたことを思い出させるなんて。アイルランドの重たい空を、懐かしく感じさせるなんて。
ニールに会いたい。とても。
机の引き出しを開けて、まだ一度も使ったこともないのにすでに日焼けして古ぼけている便箋を引っ張り出す。手紙なんて出したこともない。住所だって変わっているかもしれないし、本当に届くのかわからない。それでもわたしはペンを握っていた。いつもより丁寧な字で、ひとつひとつ、愛、を込めて。書き終えて最後に昔からいつもつけている香水をしゅ、と一振りかけたのは、かれもわたしのことを思い出して、焦がれてくれればいいと思ったから。少しだけ、いじわるさせて。