Born to be blue

※ロストジャッジメントでサバイバーが『異人町で一番安全な店』と謳われていたことから書いたお話です。
大したネタバレはありませんが未プレイの方はご注意ください。





 コツ、コツ、という自分の革靴がアスファルトを鳴らす音をぼんやりと聞きながら、もはや見慣れた光景を尻目に目的地を目指した。数年前から始めた店は、売上自体は頼りなくはあるが、それなりに客足が途切れず、金も十分にないくせに毎夜のごとく訪れるものや、思い出したときにふらりと顔を見せるものなど、様々な人間が集まるような店になっていた。土地柄、一癖も二癖もあるような人間ばかりが集まるかと思えば意外とそうでもなく、今まであまり関わることのなかったいわゆる堅気の人間も多いため、最初のうちは慣れないことも多かったが、今では己の店を持つ楽しさすら感じ始めているのが自分でも意外である、というのが正直な気持ちだった。


 角を曲がり店が見えたタイミングで、店先に誰かが座っているのを見とめた。店のオープンを待つにしてはあまりにも早すぎる、と不信に思い目を凝らすと、それはあるきっかけで時折店に訪れるようになった客だと気づいた。名前はName、だったか。
 そのまま店に近づくと彼女もこちらに気付いたようで、「あ」と言って立ち上がった。
「おはようございます、マスター」
 にこにこと笑う彼女のそばには、スーパーでなにか買い物をしたのだろうか、ねぎがひょこりと頭をのぞかせているビニール袋が無造作に置かれている。
「お前、こんなとこで何してんだ」
 そう聞くと彼女は、これ、買ってきたので適当に何かまかない食べさせてくれませんか、と言ってそのビニール袋をこちらにずいと差し出した。
「……あぁ?」
 驚きというよりも呆れが勝って凄んだような言い方になってしまったが、彼女は少しも気にする様子もなく「もちろん、タダでとは言わないんで」と能天気に付け足す。これはまるで、あの無法者な古い仕事仲間をどこか彷彿とさせるようなふるまいではないか。
「ウチは都合の良い料理屋じゃねぇぞ」
「マスター、料理も上手じゃないですか」
 この女は一癖も二癖もあるような客の方に分類されるのだったか、と頭の隅で考えながら、ポケットに入れていたキーケースを取り出し扉を解錠した。まぁとりあえず入れ、と彼女を促すと、ありがとうございますと言い、袋を引っ提げて店の中に入る。まだ店のオープンまでにはたっぷりと時間があるので、再び店内から鍵を閉めた。
「お前、あてもなく店の前でずっと待ってたのか?」
「まぁ……連絡先、知らないし」
 今日は天気は悪くないし、まだ日も高い。ただ、暖かさが増してきたとは言え、じっとしているとまだ体は冷える。彼女の無謀な行動に面食らってしまうのは自分が歳を食ったからだろうかと思い、少しやるせないような気持ちになった。
「……連絡先くらい教えてやるから、そんなムチャな真似するんじゃねぇ」
「本当ですか? うれしい」
 そう笑って彼女はスーパーの袋をカウンターの上に置いた。袋のなかにはトマト、ナス、ねぎ、しめじ、バジル、アンチョビ、ベーコン、パスタの乾麺が入っていた。
「なるほど、パスタをご所望か」
「トマト系かオイル系か決められなかったので、どちらでもできそうなものを買ってきました」
 なぜか得意げに彼女は言った。無性に腹が立ったが、たしかに昼飯はまだだったので、ここは素直に従うか、ともはや諦めのような気分になった。
「……どちらかというと、トマトの気分だな」
「やった。なにか手伝うことありますか?」
「じゃ、店のなか掃除機かけといてくれ」
 半分冗談でそう言うと、彼女は「はぁい」と素直に席を立った。今一つ掴めないやつだが、素直な一面もあるらしい。なんだか気が抜けてしまった。


 店に置いてあったにんにくと鷹の爪も使って、トマトとなすとアンチョビのアラビアータを作った。その間、Nameはきっちり店内に掃除機をかけ、レコード棚の埃を払い、おまけにテーブルや椅子の拭き掃除までして、せっせと開店準備に精を出していた。
「なかなかよく働くじゃねぇか」
「マスターの美味しいご飯を食べるためなら、なんだってしますよ」
 Nameは口の端に付いたソースを紙ナフキンで拭い、美味しかったぁ、と言って満足そうに笑った。そして「ご馳走様でした」と手を合わせる。
「デザートになんか飲むか?」
 良い働きっぷりと食べっぷりに免じ、気まぐれにそう聞くと、「いいんですか?」と彼女はおもむろに目をかがやかせた。
「じゃ、モヒート飲みたいです」
「モヒートの季節にはまだ早いんじゃねぇか」
 換気のために薄く開けていた窓からは、まだひんやりとした風がすべりこんでくる。あれは湿気が肌に張り付くような、うだるような暑さの中でこそ美味しさが増すカクテルのはずだ。
「モヒートは一年中美味しいですよ」
 特にマスターのは、と付け足して彼女はにこりと笑い、スツールから立ち上がって、きれいに空になった二人分の皿をまとめカウンター向こうの流し台に持って行った。そのまま蛇口を捻り、スポンジに洗剤を落とし皿を洗い始める。なんとも手際が良いことだ。
「マスターは料理のお店もしてたんですか?」
 俺も彼女に続きカウンターのなかに入り、グラス二つとラムのボトルを取り出して並べる。
「いや。店は出したことないが……前の仕事でたまに料理をすることがあってな。あとは趣味だ」
 風間の親父に拾われ組に入ったばかりのころ、食事係を担当していたことがある。もともと手先は器用な方だったからか、料理をするのは苦ではなく、周りからの評判もよかったのを覚えている。
 前の仕事って何されてたんですか、と彼女が聞くので、まぁ色々だ、とはぐらかすようにして答えた。
「まぁ、色々ありますよね」
 それを知ってか知らずか、それとも自分から聞いておいてそこまで興味がないのか、俺の返事には深く追求することなく、彼女は洗い終わった皿の水滴を軽く払い水切りラックの上にそれをするりと置いた。
「それでも、マスターがいまこのお店をやってくれててよかったな」
 『異人町でいちばん安全な店』のおかげで助かったんですもん、と付け足し、くすりと笑いをこぼす。
 その馬鹿みたいな、俺の預かり知らないところで付いたらしい通り名は、ちかごろ一癖二癖ある客の中でやたらに浸透し始めていて、その名のもとに様々な助けやトラブルの仲介役を求められることが少しずつ増えていた。彼女がこの店を訪れたのも、まさしくそれがきっかけだった。
 誰がそんな法螺を流し始めたのか知らないが——おそらく春日か趙あたりだろうと踏んでいる——この土地に住まわせてもらっている義理もある。ここに来ることになった経緯もあり、異人三のどれにもそれなりに顔はきくため、できる限りの対処をしているうちにいよいよその法螺が真実となり、特にそういう世界の住人たちの駆け込み寺かなにかのような存在になってしまっているらしかった。煩わしくないといえば嘘になるが、それのお陰でそういった筋の人間からも重宝してもらえるため、文句は言えない。
 それに、単に助けを求められたならばそれに答えなければ、と思う性質があるのかもしれない。


「生きてると、ほんとになにが起こるかわからないんですねぇ」
 彼女がフライパンをスポンジでごしごしと擦りながらそうこぼす。彼女は、不定期に場所を変え開催される星龍会の三次団体主催の賭場に関わる情報を、彼女自身それとは知らず何の意図もなく第三者にこぼし、それがきっかけで検挙者が出るにまで至ってしまったということで、一部のゴロツキから恨みを買いトラブルに巻き込まれる形となった。彼女がただの一般人ならまだしも、運が悪かったのは、その賭場運営に関する者のなかに彼女の実兄がいたことだ。
 彼女は自分の家族が星龍会に出入りしていたことも把握していなかったらしく、普通に暮らしていたところにいきなり裏社会との接点ができたことで当初ひどく狼狽していた。しかし、トラブルも解決へと至った今、こうして元気に客のひとりとして店に足を運ぶようになっている。
「……まったくだ。俺も、こうしてここで店持つなんて考えたこともなかったな」
「そんなものですか」
「そんなものだ」
 昔の俺は、まさか自分が極道として一度死に、一般人として店を持って生きるなんて考えつきもしなかった。そして、その店に訪れる客と呑気にまかないを作って一緒に食べる日がくることも。
 しかし、力と金がすべてにものを言う世界で、大きな親父の背中を追いかけ、かつての風堂会館の小さな一角でいたころのように直接肌でなにかを感じられるのでもなく、あのやけに見晴らしが良くふかふかとした座り心地の椅子に腰掛けあのままただ年老いて死ぬのを待つのより、本当に死んでしまってはじめからやり直したほうがむしろよかったのだと、最近はそうも思うようになった。
 うしなったものが山ほどあるのも事実だが、うしなわなかったもの、新しく得たと言えるものも思い返せばそれなりにある。今まで自分が選んできた道に、後悔はない。
「よし、きれいになりました」
 Nameがぱっぱと手に残る水滴を払い、そばに置いていたタオルで手をぬぐった。
「こっちもモヒート、出来上がりだ」
「あ、マスターもモヒート? 珍しい」
「たまには自分でも味見しとかねぇとな」
 仕事熱心、と言ってNameは笑った。ミントとライムが爽やかに香る二つのグラスのうち一つを、彼女のほうに滑らせる。いただきます、と嬉しそうに言って彼女はいやに大切そうにグラスを手に取り、そしてかかげた。
「じゃあ……もうすぐ来る春に」
 俺もグラスを持ち上げ、「またそれも気が早ぇな」と笑うと、「ううん。きっとすぐですよ」とNameは言い、そのままグラスをこちらに傾ける。
 二つのグラスがかちりと合うと、からりと氷が鳴った。二人してカウンターの中で立ったまま、一口飲む。久しぶりに飲むモヒートは、やはりこの季節にはまだちぐはぐのような気がする。だがそれも、意外と悪くなかった。Nameは美味しい、と言い満足そうに顔をほころばせる。
「はやく桜、咲くと良いですねぇ」
「……そうだな」
 一度枯れてもまた咲けばいい。そうなんだろう、親父。