One more bet

「海藤さんってさ、Nameちゃんとどういう関係なの?」
 よく晴れた午後、俺と海藤さんは事務所でコーヒーを飲んでいた。皮張りのソファはもうずいぶんとくたびれ、でもそれが心地よく身体に馴染む。コーヒーは以前真冬がくれたちょっと良いやつで、豆の香りが濃厚で旨かった。呑気なことだが、ここのところ依頼がとんとないのだから、悠々とコーヒーを飲むくらいしかやることがないのだ。それで、好奇心のようなものがむくりと顔を出し、それがぽろっとこぼれてしまった。
「あぁ?」
 海藤さんは俺の質問に変な顔で答えた。コーヒーを一口すすり、どういう関係って、と改めて聞いてくる。
「いや、仲良さそうだから…付き合ってるのかなと思って」
「んん…いや、別にそういうワケじゃねぇ」
 一瞬妙な間を置いて海藤さんはそう言ったが、いつもの海藤さんらしくない、ちょっとばかり煮え切らない返事のように聞こえ、一気に興味が沸いてしまった。
「ふーん。…てか、Nameちゃんと海藤さんってどうやって知り合ったんだっけ」
 Nameちゃんは海藤さんに借りてたDVDを返しにだとか、近くまで来たから寄ってみたとかで、最近たまに事務所に顔を出す子だった。東のことも知っているようだし、海藤さんとの付き合いもそこそこ長そうなのだが、今まで取り立てて彼女のバックグラウンドを聞いたりなどはしていなかった。
 あいつかぁ、とコーヒーカップ片手にソファに背を預け、海藤さんは口を開く。
「あいつ、うちの組がやってた裏カジノでディーラーしてたんだ。それで知り合ったんだが、俺は組を離れたろ。そこからしばらく会うこともなかったんだが、少し前に街でバッタリ会ってな」
「へぇ、ディーラー?意外かも」
 彼女は一見普通のOL風だし、そういう生業の人間には見えなかった。人は見かけによらないというが、探偵業を始めてしばらく経ってさえいても、思わぬ意外性にはいつまでも驚かされる。海藤さんは驚いた俺を尻目に、見えねぇよなぁ、と笑った。
「だが腕は確かだぜ。松金組の裏カジノがなくなったあと、今は六本木でやってるんだと」
「マジか。すげぇな」
 久しぶりに偶然会ってからまたつるむようになったんだ、と海藤さんは続ける。二人の馴れ初めはまるで初めて聞いたので、興味深かった。でも、『つるむ』だなんて野郎じゃないんだから、もっと言い方があるだろうに。


 海藤さんはそんなこと気にも留めない風でまた一口コーヒーをすすった。今日は秋晴れと言える良い天気で、窓から差し込む光がなんとも気持ち良い。窓の外の喧騒さえ聞こえていなければ、海藤さんの話を子守歌に、昼寝でもしたいくらいだ。
「だがなぁ」
「ん?」
 少し渋い顔をして海藤さんが口を開いた。
「あいつ、めちゃくちゃ酒が好きでよ」
「…へぇ」
「周りに飲める奴が少ねぇから飲めるときに飲むんだって息巻いて、俺と行くときはバカみてぇに飲みやがるんだ」
 改めてNameちゃんの顔を思い出して、それからディーラーとしてカジノに立つ姿、海藤さんと酒を煽っている姿を想像してみる。それはやはり、普段のNameちゃんの雰囲気からはかけ離れているように思えた。普通に会社で働いて、ビールや日本酒よりも体に良さそうなご飯や話題のスイーツとかが好きなのではないかと勝手に思っていた。意図的に本来の姿というのを隠しているのか、はたまた隠しているつもりはないのか、俺にはさっぱり見当もつかないが、女の子というのはやはり奥が深い生き物らしい。
「…なんか、意外性のかたまりだなぁ」
「だろ。おかげでほぼ毎回二日酔いだぜ。…ま、面白ぇしいいんだけどな、…結構かわいいし」
 やはりな、と思った。海藤さんが満更ではないことは、最初からわかっていた。なにせこの人との付き合いもそこそこ長いのだ、考えそうなことは大体わかる。だからこそ、野次馬のような好奇心が出てきてしまうのだ。
「そういう関係にはならないの?」
 単刀直入にそう聞くと、いや、だってよぉ、とまた渋い顔をして短く切りそろえた髪をかき上げる。
「やっぱ付き合う子は、メシ作って家で待っててくれるような家庭的な子がよくないか?」
「……海藤さん。念のために聞くけど、自分の年齢わかってる?」
「なんだよ。夢見過ぎって言いたいのかター坊?」
 海藤さんは軽く凄んでみせたが、驚きと呆れが同時に押し寄せて何も言い返す言葉が見つからなかった。まるで恋愛を夢見る純粋な少年がそのまま大人になったみたいだ。『少年がそのまま大人になったみたい』、それが海藤さんの良いところでもあるのだが、いまだに恋愛に夢を見ているのはやはりいただけない。これでは二人の進展はむつかしいか、と再びソファに体を沈み込ませる。


 ほどなくして、誰かが階段を上がってくる音が聞こえるのに気づいた。ドアの方に目をやると、こともあろうか、先ほどまで話題に上がっていた張本人がドアを開けようとノブに手をかけるところだった。さすがに海藤さんも驚いた様子で、目を白黒させてソファから立ち上がる。
Name
「こんにちは、八神さん、海藤さん」
 いつも通りにこにこしながら事務所に入ったNameちゃんは、手に持った紙袋を掲げて「これ、差し入れ持ってきたからよかったら」と言った。
「うお、ありがと。いつもごめんね。…なにもないけど、コーヒーでも飲む?」
「あ…いただきたいところなんですが、お気持ちだけで。これからもうすぐ仕事なんです」
 なるほど、と言って差し入れを受け取る。袋の中身を見ると、最近新宿駅にできた新しいパティスリーの焼き菓子が入っていた。やはり、普通に流行りもののスイーツも好きなのだろうか。
「最近海藤さんが全然店に来ないから、顔見にきたの」
 そうNameちゃんが口を開くと、海藤さんが「はあ?」と言って顔をしかめる。
「…たまには遊びに行ってあげなよ」
「へっ。誰が好き好んで金毟り取られに行くかよ」
 他のヤクザたちと同じように海藤さんも普通にギャンブルに抵抗はないものだと思っていたが、この反応から察するに、何度か痛い目にあわされているとみた。そんな海藤さんを見てNameちゃんはさもおかしそうに笑っている。
「別にお店にお金落として欲しいわけじゃないよ。知ってる人が来てくれるとモチベーションが上がるから」
 それに仕事終わりに飲みにもいけるし、と付け足してNameちゃんはまたにこにことした。
「飲むのはいつでもいいが、店にはしばらく行かねぇからな俺は」
「海藤さん、この間ボロ負けしたんですよ」
「言うんじゃねぇ!」
 こっそり耳打ちしてくるNameちゃんは実に楽しそうだ。なんか完全に向こうのペースに乗せられてる感じだな、と海藤さんを見て思う。
「今度八神さんも来てみてください」
「あぁ。海藤さんに連れてってもらうよ」
「ター坊!行かねぇぞ俺は 」
 あはは、と一笑いしたあと、あ、そろそろ行かなくちゃ、とNameちゃんは腕時計を見て言った。ここはお節介をするべきだろう。海藤さんに駅まで送ってもらえば、と提案すると、海藤さんは案外それをすんなりと受け入れた。
「じゃ、八神さん、また」
「うん。気を付けて」
 俺に一礼してNameちゃんは海藤さんと一緒に事務所を後にした。事務所にはコーヒーと、わずかに香水の香りが残った。
 そっと窓の外を伺うと、二人が並んで歩いている様子が見える。どこからどう見ても付き合っているようにしか見えないが、この様子だと遠からずそうなるのだろう。彼女は、海藤さんに負けないくらいの博徒らしい。
 博打は、攻めの姿勢を忘れない奴が勝つ。ということは、この賭けはもちろん海藤さん、あんたの負けだ。そう思った次の瞬間、歩いていた海藤さんが大きなくしゃみをした。思わず笑ってしまった。