Steady

 最初は、あたたかく安全な繭のなかにふわりと浮いていると思った。次第に頭が冴えてきて、自分がベッドの中にいることと、隣に寝そべっている海藤さんの腕を枕にして、意識を手放していたことがわかった。カーテンは閉まっているが、ちゃんとした遮光のものを選ばなかったせいで、外は暗いはずなのに街灯やらの薄明りがほんのりと部屋全体に透けている。
「…ごめん、今少し寝ちゃってた」
 そうつぶやくと、暗がりのなか、海藤さんが顔をこちらに向け目元をゆるめて笑ったのがわかった。
「気持ち良さそうに寝てたからそのままにしといたんだが、起きちまったか」
 一通り事を終えそのままベッドに寝そべり、ぽつりぽつりと喋りながらそのままうとうととしてしまったせいで、二人とも何も身に着けていない状態だった。でも、海藤さんの体が暖かいおかげで布団の中がお湯のなかみたいに温まって、とても気持ちよかった。
「起こしてくれて良いのに」
「すやすや寝てるとこ、起こしたらかわいそうじゃねぇか」
 海藤さんはそう言ってまた笑った。少し甘えてみたくなって、すぐ隣に横たわっている体に抱きつくと、海藤さんの手がわたしの背中にまわり、肩口にキスをした。あごのひげがざりざりしてくすぐったくて、自然と笑いが漏れる。
「あぁ、なんか運動したら小腹がすいてきたな」
「え。…もう真夜中だし、我慢して明日食べれば?」
「このままじゃ気になって寝られねぇ…」
 ちょっとすまん、と言って丁寧にわたしの体をほどくと、海藤さんは上半身を起こした。
「さっきの煮物の残り食ってもいいか?」
「い、いいけど」
 いくら宵っ張りのわたしたちとはいえ、夜遅くベッドに入った後にもう一度何かを食べるなんていうことは、あまりなかった。わたしは完全に眠気のほうが勝っていたから、もう一度大きくてあたたかい海藤さんの体を湯たんぽ代わりにして、安らかに眠りの海に戻りたい気分だった。
 しかし、海藤さんはベッドから出て、床に落ちていた下着とスウェットを探し、素早く身に着け電気もつけないでキッチンの方に向かって行った。その間、するりとわたしの頭を一撫でしていくところが、海藤さんの憎めないところだとつくづく思う。巨大湯たんぽを失ったとたんに寒さが襲ってきたので、急いでわたしも手探りで下着とルームウェアを探し、とりあえず着た。


 少し間を置いて、キッチンの流し台の上の灯りが付いた。暗い部屋の中で一カ所だけ明るくなると、なにか秘密めいたわくわくした気持ちになるのはなぜだろう。冷蔵庫を開ける音がして、煮物の残りが入っている鍋を海藤さんが探しているのがわかった。
 今まで料理といえばきわめて簡単なものしか作っていなかったが、海藤さんがことあるごとに「手料理が食べたい」と言うので、最近あらためて料理の勉強をはじめた。まだ凝ったものはうまく作れないけれど、海藤さんは美味いと言ってなんでもうれしそうに食べてくれた。足るを知る、を知っているのだ。「何が好きなの」「何が食べたいの」と聞けば、いつも家で母親が作るみたいな素朴なご飯を言ってよこした。単に、難しい名前のご飯を知らないだけかもしれなかったけれど。
「煮物、あたためようか?」
 ベッドに座ったままそう聞くと、冷えててもうめぇぞ、とキッチンから返事が返ってきた。どうやら、もう食べ始めているようだ。
 今日の夕飯に作った大根と手羽元のさっぱり煮は、酢が効きすぎて、正直あまり満足のいく出来栄えではなかった。冷えていると余計にすっぱく感じるのではないかと思って不安だったが、海藤さんはそんなこと気にも留めない様子だった。前から思っていたけど、海藤さんはちょっとだけ鈍感だと思う。鈍感なだけではなくて、優しさもあるのはもちろんのことだが。
 食べている海藤さんを見たくなって、のそのそとベッドから這い出る。灯りが目に眩しく、目を細めながらキッチンにたどり着くと、海藤さんは立ったまま鍋から大根をつついていた。なんとも満足そうな顔だった。それを見ると無性にほっとして、なんだかわたしまで食べたい気分になってきてしまった。
「…わたしも食べていい?」
 そう聞くと、海藤さんはにやりとして振り向き、
「もちろんだ」
 と言って、箸立てから箸を取って渡してくれた。隣に立って大根を一つ口に入れると、夜食べたときよりもだしが染みて、少しだけマシな味になっていた。さっきよりおいしくなってる、と言うと、さっきから美味かったぞ、と言って海藤さんは笑った。
 海藤さんに出会ってから、たくさんのことを知った。無心にあくを取ったり、玉ねぎをみじん切りする時間がそんなに悪いものではないこと。手作りのご飯を一緒に食べることが、こんなにもすてきなこと。少しくらい鈍感な方が、いろいろと上手くいくということ。
 そんな最近の生活を、わたしはとても気に入っている。