Sparks

 Nameはテレンス・T・ダービーという男が嫌いだった。

 物腰柔らかな雰囲気で誰の気も荒げることない口調。少し冷たささえ感じさせる礼儀正しい態度。ディオに気に入られ、館を任されている執事。仕事っぷりも有能なようだし、ディオの側近だというヴァニラ・アイスという無口で奇抜なわけのわからない男よりかは信頼できるのだが、テレンスのその裏に隠されたなにかを、Nameはいつも感じるのだった。他人をいらだたせることがないというのは、かれらの地雷原を知っているのと同じこと。他人の地雷原を知っていて、それを相手に知らせることなくのうのうと土足で頭の中に入ってくる。詳しく関わりあうことを避けていたのでそれが意識されたものなのか或いは無意識なのかはわからなかったが、Nameはテレンスのスタイルをそう感じていたし、それがとても嫌だった。


 以前、ディオがNameに戯れにこう言ったことがかあった。
 テレンスの前では正直でいたほうがいい。あいつに質問をされるとひとたまりもないからな。
 どういう意味でその言葉を発したのか、ディオの心の内は読めなかったのだが、Nameはそれが余計に気になった。敵に回すな、ということなのだろうか、なんにせよ、テレンス・T・ダービーという男は厄介なのだということは理解できた。ディオを非難するわけでは決してないのだが、そんな厄介な男を気に入って執事として傍に置いていることが、Nameにとっては甚だ疑問だった。あの館にいるものはひとくせふたくせでは足らないくらい、なにか奇妙な人々なのだろう。Nameはそう思った。




 ディオに呼ばれ、館の中を歩いていたときのことだ。暗い廊下の奥からこちらに向かって歩いてくるテレンスを見た。
「これはこれは」「Nameじゃあありませんか。あなたがここにいるなんて、めずらしい。ディオ様にお呼ばれに?」
 いつものいやに礼儀正しい態度で、テレンスが足を止める。
 苦手な相手にあからさまにそれを匂わせて接するほどNameは世渡り下手ではないので、勤めて普段通りに振舞うことを選択する。しかし、やはりあまり係わり合いにはなりたくないのが本音だった。早めに会話を切り上げてこここを離れたい。少しぎこちない笑顔を浮かべながらNameは思った。
「・・ええ。急ぎの用じゃあないって仰っていたから、ただの暇つぶしの話相手なのだろうけど。でもディオ様に会えるのはうれしいわ」
「ではもっと館に足をお運びになったらいいのに。ディオ様はきっと歓迎なされますよ」
「そうね。考えておくわ。…せっかくだけどわたし、行かなくてはならないわ、ミスターダービー。さよなら」
 そのままテレンスの横を通り過ぎようとした。その瞬間をテレンスは見逃さなかった。すかさず廊下に声が響く。
「ミスターダービーなどと堅苦しい。テレンスと」
 どき、として思わずテレンスを見やると、Nameの方を向いて小さくほほえんでいた。嫌な予感がする。
「……テレンス」
 満足そうな笑みを浮かべたテレンスは続ける。
「どうです。ディオ様の用事が終わったら、客間でティータイムでも。お茶とお菓子を召し上がっていけば」
「………わたし、あまり時間が無いの。残念だけど、またの機会にしてもらうわ」
「そうですか。…あなた、本当に私の事が気にいらないみたいですね」
ふとディオの言葉が脳裏をよぎる。これは「質問」に入るのだろうか。
「…どうして?そんなこと、ないわ」
「嘘つきはよくない。…かといって、目前でええ嫌いですとハッキリ言われても悲しいものもありますが」
 Nameは完全に言葉を見失って立ち尽くしていた。嫌な予感は的中したというわけね、と心の中でひとりごちる。完全にテレンスのペースに飲み込まれてしまっている自分がいるのを感じた。テレンスは何が可笑しいのか、ずうっと薄ら笑いを浮かべたままだ。
「わたしはあなたのこと、結構気に入っているんですがね」
「……何ですって?」
 焦燥したNameがまるで独り言みたいにこぼした言葉を、テレンスはまた律儀に「ですから、わたしはあなたのことを、気に入っていると申し上げました」と、煩わしいくらいの丁寧さでもって拾いあげた。笑みを深くしたテレンスはそのまま歩き出し、振り返らずに長くて暗い廊下の奥に消えていった。広くて、嘘や欲や傾いた自意識の感じられる背中だった。少なくともNameにはそう感じた。

 やはりテレンスのことはまだ好きになれそうにない。つまりは互角に彼と戦うには、彼のことを知らなさすぎるのだ。早くどうにかしてこの場所を離れたい、そう思う反面、何かの呪文に縛られているみたいにNameはしばらくそこを動けずにいた。