ジプシー・キャラバン

 頬を切る風が鈍い金属みたいに冷たかった。ドルルルル、という野太いエンジン音と共にイエローオーカーの風景が過ぎ去っていって、目が乾いて涙が出てくる。ずっと鼻にまとわりついているのは甘いモスクの香水だ。嘘みたいに甘ったるいこの香りはメローネによく似合っていた。香水の類に似合うという言葉を使うのは可笑しいと、ギアッチョは怒鳴るだろうか。
 バイクを運転するメローネのレザージャケットに頬をくっつけると、香水と革が混じった、濃厚でなんだか色っぽい匂いがした。ジャケット越しにメローネの体温が伝わってきて暖かい。


Nameってくっつくのが好きなのかい?」
「寒いだけよ」
 そう返したNameはメローネの腰にしがみついている腕の力をぎゅっと強めた。
「ああ、そんなに強い力で、…ベネ」
「運転に集中してね」
 それにしても寒かった。ヘルメットがあればまだマシなのだろうが、法律なんて無いに等しい彼に『ヘルメットは?』と質問するのは絶対に当たらない馬券を100枚くらい買うのと同じくらい無駄なことだとNameには分かっていた。まだきちんと免許を持っているということが奇跡だ。言わずもがな、彼らにしてみれば免許なんてあってもなくても同じなのだろうが。
 話は戻るがとにかく、ヘルメットなんか無かった。何度かバイクの後ろに乗せてもらったことはあるが、ヘルメット無しの、冬のバイクほど寒いものは無かった。これならギアッチョの車のほうがまだマシかもしれない。でも彼のスピード狂によって引き起こされる車酔いと合わせたら、プラスマイナスゼロだろうか。ホルマジオの運転する車だったら快適に乗せてもらえたのに、とNameは密かにため息をついた。他のメンバーも滅多なこと以外ではギアッチョの車には乗りたがらなかった。ただ一人、メローネだけを除いて。
 その点メローネは、バイクでスピードは出すものの、ギアッチョのような際どい運転はしなかった。信号無視はしないし(交通量の少ない田舎や夜中などは別だ)カーブでもそこそこ減速する。以前Nameがそのことについて話したところ、交通事故で死ぬことは彼の人生のプランの中にはないのだそうだ。それなら相棒に貸すヘルメットくらい、買ってくれたって良いのに。

「ね、今日のターゲットって、どんな?」
「ン、しょうもない中年男さ。例の会社の重役だって。スタンド使いだという情報も今のとこ入ってきていない」
「ふぅん…」
「聞いてきた割には興味が無さそうだ」
 ふふ、とメローネが静かに漏らした息が背中越しに伝わってくる。
「そりゃあ、今から永遠にさよならする人のことに興味持ったって仕方がないし」
「それもそうだ。こんな寒い日には早々と仕事を終わらせて暖かい所でホットワインでも飲んで帰るのがべネだな」
「同意するわ。早く終わらせちゃいましょう」
 メローネがブレーキをかけた。赤信号だ。
「じゃあ、こういうのはどうだい?早く仕事を終わらせて、君の家でホットワインを飲んで、ポルノ映画を観て、それから一緒にベッドに入る」
 わざわざこっちに顔を向けないでほしいとNameは思った。メローネが気持ち悪いくらいの爽やかさでニコニコと笑っている。
「あなたはほんとにそんなバカなことばっかり考えてるのねぇ」
「もちろんきみとセックスすることだけ考えてるわけじゃあないさ。プロシュートが今まで抱いた女の子は何人いるかとか、ギアッチョは好きな女の子にどんな下着を着せるのが好きなのかとか、リゾットはどんな女の子を見たら勃つのかとかね」
 なんとなくわかってはいたけれど、これが彼の信念やポリシーとでもいうのだろうか、感動すら覚えるくだらなさだ。
「びっくりするくらい、どれもたいして変わらないくだらないことばっかりだけど」
「だって人生ってそんなものだろう?くだらない毎日をいかに楽しく過ごすかだぜ」
 勢いよくバイクが動いたのでおでこをメローネの背中に打ち付けてしまった。振り落とされないように彼の腰に手をしっかり回す。ぺらぺらと喋り続けるメローネは本当に楽しそうな背中をしている。
「ただハッピーに生きるんだ。金を稼いで、バカなことをしてね。俺は君とハッピーになりたいんだ。それが重要なんだ」
「だから一緒にいてくれよ。Name

 都合の良い変態野郎、とNameは思ったが、そのメローネの声があまりにもセクシーで愛しかったので、考えておく、と呟いて背中にぺったりとひっついた。この甘ったるい匂いが、気分を狂わせているのかもしれない。
 夜が近づいている。完全に真っ暗になるのも時間の問題だろう。暗闇になればもうこっちのものだった。ターゲットが殺されるのを待っている。わたしたちはまるでハッピーでたちの悪い死神だ。悪くない。そう思った。